この里には日本近代水道の発祥の地である横浜水道の水源があり、道志川から送られた水は明治以降の横浜の発展を支えるとともに、世界中から集まる船乗りの人々に「赤道を越えても腐らない」と評判でした。
今も豊かな自然が残るこの地区では、毎年秋に道志川を題材とした写生大会が開催されます。
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道志川三太の里
相模原市緑区:旧津久井町
交流の里情報
道志川からの水
里の見所、名所
三太物語の舞台・道志川
三太物語の舞台・道志川 相模川の支流で、昭和39年に旧橋にかわって架橋された新道志橋の下流で相模川と合流し、津久井湖にそそいでいます。水量が豊富なことと水質が良いことから、飲料用水として重宝されました。
作家青木茂が道志川に釣りに来て釣り宿の主人と知り合い、その宿を常宿とし、主人からアユ釣りを教わり、村の話を聞きました。この話は「三太物語」として本になり、昭和25年にNHKラジオで放送され、「おらあ三太だ!」という元気のいい少年は、たちまち人気者になりました。
物語の舞台となったのは三ヶ木一帯にかけた集落で、新道志橋から道志川沿いに下っていくと、今も当時と変わらぬ自然が多く残されています。
横浜市水道局青山沈殿池
明治20年(1887年)にイギリス人H・S・パーマーによって三井村川井地区(現名手)に開設された日本近代水道発祥の地で、現在も遺構があります。現在地に貯水池が開設されたのは明治29年(1896年)です。すぐ近くには河原があり、釣りなどが楽しめます。